VARの導入で新しい問題が起こっているという大誤解
残念ながら日本代表はグループリーグ敗退となってしまったコパ・アメリカ。
代表戦は普段サッカーを見ない層もみたりすこともあるなかで、VARが導入されていることでいろいろ議論が起きています。
いや、「起きているように思われます」と言い直しましょう。
先に結論から言っちゃいますが、サッカー系のメディアで「VARが議論を呼んでいる」とかいう言葉を見たら、そのサイトのウインドウをそっと閉じましょう。
VARで新しい問題が起こっている、ということはないです。
VARが議論を呼んでいるということもないです。
真相は、VARの導入によりいわゆる誤審がほとんどなくなり、書くこと(=仕事)がなくなってしまったかわいそうなサッカーライターが、仕事したふりをするために火のないところに煙を立てている過ぎません。
茶番です。
一応4級審判員として競技規則へのリスペクトを持っておりますので、正直、適当なことが書いてあるのを見るとムカつくのです。(汚い言葉ですみません)
例えばこの記事。
●“究極の選択”も可能に?コパ・アメリカで発生した「悩ましい」場面がこれ
https://qoly.jp/2019/06/28/ep-copa-america-2019-fabian-balbuena-red-card-hys-1
VARは主審が事実を見逃したと思われる場合などに関与します。
このシーンではVARからの連絡が遅れたようです。VARも現象を何度か確認してから連絡したのかもしれません。
競技規則を読めばすぐにわかる話なのですが、このシーンではVARは必ず主審にレビューを勧めます。
主審はそのアドバイスに基づいてレビューするかどうかを決定しますが、よほど確実に判定に自信がない限りはレビューします。
選手の抗議によってレビューするかどうかを決めているなどということは、まったく事実と異なります。
もちろん上記のシーンはファウルはペナルティエリア外なので、退場でフリーキックが正しい判定になります。
VARは正しい判定を下すための補助手段であって、どちらかを選べるということではありません。
(1)VARなしでは見えづらいファウルが存在する
(2)VARの適用で今まで気づかなかった競技規則の正しい運用が明らかになる
(1)について。
これは例えば日本代表の植田がカバーニと接触してPKを献上したシーンが分かりやすいと思いますが、この接触は主審からも副審からも見えづらい位置で発生しています。
主審はフィールドを対角線上に走るため、キーパーから見てペナルティエリアの左側はどうしても見えづらいのです。
スルーパスに対しては副審も後ろから追いかける形になりますので、背中に隠れるようなプレーは監視しづらいです。
こういったものがVARを使うと、記録として鮮明に残っているので正しい判定を下すことができるというわけです。
VARは審判団の目を補完する(それもかなり大々的に!)ツールなのですね。
ああいうプレーは審判から見えづらいため、今まではノーファウルで流されるケースも多かったはずです。
それになれているファンや選手は今回のPKに「今までと違う」という違和感を覚えるのですが、これが正しい競技規則なのです。
ここで(2)の話になってきます。
VARが導入されることで審判団は今までと比べて圧倒的に情報量の多い中で判定を下すことができます。
これは競技規則が今までよりも格段に正確に運用されることを意味します。
この「正確に」というところが大事で、別に新しいルールが適用されるということではなくて、今まで間違っていたものが是正されているにすぎません。
しかし今まで間違いを多く含んだサッカーに慣れていた人たちは競技規則の正確な姿を知らないわけです。
今までは「間違っていたけど審判団が見える情報からでは判定できなかった」というプレーが多く存在していました。
正確に判定されることは、本来的にはプラス以外の何ものでもないのですが、知ったかぶりをする輩が付け込む余地になりますね。
だから必然的に話題にするのはVARのことしかなくなってしまうわけです。
僕が苛立たしく思うのは、仮にもサッカーに仕事としてかかわっているライターが間違った知識に基づいて適当な記事を書き、それを広めていること。
競技規則なんて、じっくり読んでも数時間あれば理解できますし、仕事なのですからそのくらいはしてほしいというのは、求め過ぎではないと思います。
適当な記事でVARに異議を唱えるのは審判団に失礼です。
もっとリスペクトが欲しいところです。
代表戦は普段サッカーを見ない層もみたりすこともあるなかで、VARが導入されていることでいろいろ議論が起きています。
いや、「起きているように思われます」と言い直しましょう。
先に結論から言っちゃいますが、サッカー系のメディアで「VARが議論を呼んでいる」とかいう言葉を見たら、そのサイトのウインドウをそっと閉じましょう。
VARで新しい問題が起こっている、ということはないです。
VARが議論を呼んでいるということもないです。
真相は、VARの導入によりいわゆる誤審がほとんどなくなり、書くこと(=仕事)がなくなってしまったかわいそうなサッカーライターが、仕事したふりをするために火のないところに煙を立てている過ぎません。
茶番です。
一応4級審判員として競技規則へのリスペクトを持っておりますので、正直、適当なことが書いてあるのを見るとムカつくのです。(汚い言葉ですみません)
■実際にどんなことが起こっているのか
実際にどれだけひどい記事が出ているかをさらします。例えばこの記事。
●“究極の選択”も可能に?コパ・アメリカで発生した「悩ましい」場面がこれ
https://qoly.jp/2019/06/28/ep-copa-america-2019-fabian-balbuena-red-card-hys-1
VARは主審が事実を見逃したと思われる場合などに関与します。
このシーンではVARからの連絡が遅れたようです。VARも現象を何度か確認してから連絡したのかもしれません。
競技規則を読めばすぐにわかる話なのですが、このシーンではVARは必ず主審にレビューを勧めます。
主審はそのアドバイスに基づいてレビューするかどうかを決定しますが、よほど確実に判定に自信がない限りはレビューします。
選手の抗議によってレビューするかどうかを決めているなどということは、まったく事実と異なります。
もちろん上記のシーンはファウルはペナルティエリア外なので、退場でフリーキックが正しい判定になります。
VARは正しい判定を下すための補助手段であって、どちらかを選べるということではありません。
■VARが導入されて起こっていること
なぜこういう誤解が出てくるのかというのは最初に書いた通り、ただキャッチーな記事が書きたい低レベルな記者のせいなのですが、そういう人たちが付け込める要素というのは確かに存在します。(1)VARなしでは見えづらいファウルが存在する
(2)VARの適用で今まで気づかなかった競技規則の正しい運用が明らかになる
(1)について。
これは例えば日本代表の植田がカバーニと接触してPKを献上したシーンが分かりやすいと思いますが、この接触は主審からも副審からも見えづらい位置で発生しています。
主審はフィールドを対角線上に走るため、キーパーから見てペナルティエリアの左側はどうしても見えづらいのです。
スルーパスに対しては副審も後ろから追いかける形になりますので、背中に隠れるようなプレーは監視しづらいです。
こういったものがVARを使うと、記録として鮮明に残っているので正しい判定を下すことができるというわけです。
VARは審判団の目を補完する(それもかなり大々的に!)ツールなのですね。
ああいうプレーは審判から見えづらいため、今まではノーファウルで流されるケースも多かったはずです。
それになれているファンや選手は今回のPKに「今までと違う」という違和感を覚えるのですが、これが正しい競技規則なのです。
ここで(2)の話になってきます。
VARが導入されることで審判団は今までと比べて圧倒的に情報量の多い中で判定を下すことができます。
これは競技規則が今までよりも格段に正確に運用されることを意味します。
この「正確に」というところが大事で、別に新しいルールが適用されるということではなくて、今まで間違っていたものが是正されているにすぎません。
しかし今まで間違いを多く含んだサッカーに慣れていた人たちは競技規則の正確な姿を知らないわけです。
今までは「間違っていたけど審判団が見える情報からでは判定できなかった」というプレーが多く存在していました。
正確に判定されることは、本来的にはプラス以外の何ものでもないのですが、知ったかぶりをする輩が付け込む余地になりますね。
■審判にリスペクトを
日本代表の試合を3試合見ただけですが、この中で「誤審ではないか」と思われる判定はありませんでした。だから必然的に話題にするのはVARのことしかなくなってしまうわけです。
僕が苛立たしく思うのは、仮にもサッカーに仕事としてかかわっているライターが間違った知識に基づいて適当な記事を書き、それを広めていること。
競技規則なんて、じっくり読んでも数時間あれば理解できますし、仕事なのですからそのくらいはしてほしいというのは、求め過ぎではないと思います。
適当な記事でVARに異議を唱えるのは審判団に失礼です。
もっとリスペクトが欲しいところです。
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