少年サッカーのボランティア審判について(1)
おおよそ5年間、息子の所属する少年サッカーチームで審判をやってきました。
それなりにまじめに取り組んでは来ましたが、もちろん至らない点もあってご迷惑をかけたかなという思いもあります。
まだ審判の資格は更新し続けるのですが、一応本年度が自分にとって一区切りになるかなというところがあり、感じたこと、考えたことなどを書いておこうと思います。
それはコーチ・選手・保護者が審判に対して抱いている幻想と、私が実際に感じている審判という立場とのギャップです。
その根幹は、Jリーグなどのプロの審判とは違い、少年サッカーの審判はボランティアであるという視点の
その運営形態はいろいろで、中にはスクールなどに近く、月謝を取る反面、サポートが手厚いクラブもあります。
そのようなチームではコーチや審判も、保護者ではなく、仕事として対応できるスタッフが帯同しているようです。
ただ、多くの場合はコーチや審判は保護者やOBの保護者などを中心としたボランティアによって構成されていると思います。
コーチの事情については私はあまり詳しくないので触れません。ここでは審判について書いていきます。
審判はボランティア、要するに基本的に無償で好意で協力しているという立場です。
登録費用やもしかしたら多少の謝礼が出ていたりする場合もあるかもしれませんけど、審判に真剣に向き合うとすると、当日だけではなく事前の準備や日々のルールの勉強・体力づくりなどなかなか大変なものです。
言い方は悪いですが、割に合わない、と言ってもいいものです。
それでも子どもたちが大会に出場するには必ず必要なので、誰かがやらざるを得ないというのが実情です。
私自身は、大変ではあるもののそういった必要性を鑑みて協力できるから頑張ろうと思ってやってきました。
ここで何が言いたいかというと、「相応な対価を払うべき」ということではありません。
誤解を恐れずに言えば、「多くを求めてはいけない」とういうことです。
「ボランティアだから」という甘えを持っているわけではなくても、やはり割ける時間・労力は限りがあるものです。
ルールへの理解を深めたくても、ちょっとその時間が取れないという場合はあります。
審判は頭で理解していても実技は別ですから練習も必要ですが、それもなかなか私生活とのバランスの上で難しい人もいます。
それでも審判の方々は試合に帯同してくれている、ということを考えてみてください。
審判をするということは、おそらく審判をやったことが無い方の想像のはるか上を行く、大変な仕事です。体力的にも、そして精神的にも。
審判はボランティアとしてできる範囲で頑張っているんだという点は見ていただきたいところです。
たまにしか協力できなかったり、久々の担当だったりすれば、どうしてもレフェリングの質は上がらないと思います。
しかし、レフェリングを適当にやろうと思っている審判員はいません。
選手たちが一生懸命練習してきて、試合で頑張ろうとしている気持ちは、コーチや保護者と同様に審判だってわかっています。
それを適当にさばこうとしている審判員はいないのです。
だから自分のできる範囲の中でのレフェリングにおいて、うまくいかなかったものについては、周りから指摘されるまでもなく自分自身で分かっていますし、後悔しています。
私も毎試合、後悔の連続です。
どうしても大切な試合だったりするとコーチや保護者から審判に対してヤジが飛ぶことになってしまいます。
私自身のことを思い切り棚に上げますが、やはりレフェリングのレベルの差は大きく、正直なかなか技術的に厳しい審判というのは存在します。
でもその審判は、それでも子どもたちが試合をするために帯同してくれているんだということを考えてみてほしいし、わざと適当にやっているのではなく、最善を尽くしているということは忘れないでほしいところです。
もちろん勝利を目指して頑張るわけではありますが、それだけが目的ではありません。
むしろ勝利以外の目標、チームとしてお互いに協力し合うことの大切さだったり、設定した目標に向けて努力すること自体だったり、そういった部分が大事です。
だから試合そのものも成長の場であって、練習の成果を出すと同時に試合中にも子どもたちは成長していきます。
審判はどうかというと、プロなど、より審判としての高みを目指すという場合を除いては、私たちは試合で成長するために来ているわけではありません。
ドライに言ってしまえば義務を果たすために来ています。
例えばレフェリングにそこそこ大きなミスがあったとして、対戦チームからクレームがあったとします。
「審判だってそうやってミスをレビューして修正していかないと成長しないでしょう」という趣旨のコメントを聞いたことがあります。
ちょっと的外れだと私は思います。
私は必要だから審判を担当しているのであって、やらなくていいのであればやりません。
つらい仕事ですからね。
指導を受けに来ているわけではありません。
ミスがあったかどうかは審判はたいていの場合自分でわかっています。
終わってからタラレバで言うのは簡単で、実際にその場・その時には正しい判断を下すのは難しいですから、後悔というものは当然あります。
すでに自分で凹んでいるところに、追い打ちをかけられるのはつらいものです。
要するに私が少年サッカーに関わる皆さまに言いたいことは、一つだけ。
たいていの審判はボランティアでかつ、各人が割けるリソースの中で精いっぱいやっていますよ、ということです。
プロとは違うわけでその辺は踏まえてみていただけると良いかなと思います。
それなりにまじめに取り組んでは来ましたが、もちろん至らない点もあってご迷惑をかけたかなという思いもあります。
まだ審判の資格は更新し続けるのですが、一応本年度が自分にとって一区切りになるかなというところがあり、感じたこと、考えたことなどを書いておこうと思います。
■(1)ボランティア審判という存在について
まずは私が審判として一番感じていることについて書きます。それはコーチ・選手・保護者が審判に対して抱いている幻想と、私が実際に感じている審判という立場とのギャップです。
その根幹は、Jリーグなどのプロの審判とは違い、少年サッカーの審判はボランティアであるという視点の
少年サッカーの審判の多くはボランティア
小学生でサッカーをしようという子どもたちは、多くの場合地域の少年サッカーチームに所属します。その運営形態はいろいろで、中にはスクールなどに近く、月謝を取る反面、サポートが手厚いクラブもあります。
そのようなチームではコーチや審判も、保護者ではなく、仕事として対応できるスタッフが帯同しているようです。
ただ、多くの場合はコーチや審判は保護者やOBの保護者などを中心としたボランティアによって構成されていると思います。
コーチの事情については私はあまり詳しくないので触れません。ここでは審判について書いていきます。
審判はボランティア、要するに基本的に無償で好意で協力しているという立場です。
登録費用やもしかしたら多少の謝礼が出ていたりする場合もあるかもしれませんけど、審判に真剣に向き合うとすると、当日だけではなく事前の準備や日々のルールの勉強・体力づくりなどなかなか大変なものです。
言い方は悪いですが、割に合わない、と言ってもいいものです。
それでも子どもたちが大会に出場するには必ず必要なので、誰かがやらざるを得ないというのが実情です。
私自身は、大変ではあるもののそういった必要性を鑑みて協力できるから頑張ろうと思ってやってきました。
ここで何が言いたいかというと、「相応な対価を払うべき」ということではありません。
誤解を恐れずに言えば、「多くを求めてはいけない」とういうことです。
「ボランティアだから」という甘えを持っているわけではなくても、やはり割ける時間・労力は限りがあるものです。
ルールへの理解を深めたくても、ちょっとその時間が取れないという場合はあります。
審判は頭で理解していても実技は別ですから練習も必要ですが、それもなかなか私生活とのバランスの上で難しい人もいます。
それでも審判の方々は試合に帯同してくれている、ということを考えてみてください。
審判をするということは、おそらく審判をやったことが無い方の想像のはるか上を行く、大変な仕事です。体力的にも、そして精神的にも。
審判はボランティアとしてできる範囲で頑張っているんだという点は見ていただきたいところです。
適当にやろうと思っている審判はいない
やはりボランティアとしての限界上、どうしても審判の技術レベルには差が出てしまいます。たまにしか協力できなかったり、久々の担当だったりすれば、どうしてもレフェリングの質は上がらないと思います。
しかし、レフェリングを適当にやろうと思っている審判員はいません。
選手たちが一生懸命練習してきて、試合で頑張ろうとしている気持ちは、コーチや保護者と同様に審判だってわかっています。
それを適当にさばこうとしている審判員はいないのです。
だから自分のできる範囲の中でのレフェリングにおいて、うまくいかなかったものについては、周りから指摘されるまでもなく自分自身で分かっていますし、後悔しています。
私も毎試合、後悔の連続です。
どうしても大切な試合だったりするとコーチや保護者から審判に対してヤジが飛ぶことになってしまいます。
私自身のことを思い切り棚に上げますが、やはりレフェリングのレベルの差は大きく、正直なかなか技術的に厳しい審判というのは存在します。
でもその審判は、それでも子どもたちが試合をするために帯同してくれているんだということを考えてみてほしいし、わざと適当にやっているのではなく、最善を尽くしているということは忘れないでほしいところです。
審判は育成のために試合に参加しているわけではない
少年サッカーは子どもたちの育成の場です。もちろん勝利を目指して頑張るわけではありますが、それだけが目的ではありません。
むしろ勝利以外の目標、チームとしてお互いに協力し合うことの大切さだったり、設定した目標に向けて努力すること自体だったり、そういった部分が大事です。
だから試合そのものも成長の場であって、練習の成果を出すと同時に試合中にも子どもたちは成長していきます。
審判はどうかというと、プロなど、より審判としての高みを目指すという場合を除いては、私たちは試合で成長するために来ているわけではありません。
ドライに言ってしまえば義務を果たすために来ています。
例えばレフェリングにそこそこ大きなミスがあったとして、対戦チームからクレームがあったとします。
「審判だってそうやってミスをレビューして修正していかないと成長しないでしょう」という趣旨のコメントを聞いたことがあります。
ちょっと的外れだと私は思います。
私は必要だから審判を担当しているのであって、やらなくていいのであればやりません。
つらい仕事ですからね。
指導を受けに来ているわけではありません。
ミスがあったかどうかは審判はたいていの場合自分でわかっています。
終わってからタラレバで言うのは簡単で、実際にその場・その時には正しい判断を下すのは難しいですから、後悔というものは当然あります。
すでに自分で凹んでいるところに、追い打ちをかけられるのはつらいものです。
今回のまとめ
だらだらとしてしまいましたのでこのくらいでまとめます。要するに私が少年サッカーに関わる皆さまに言いたいことは、一つだけ。
たいていの審判はボランティアでかつ、各人が割けるリソースの中で精いっぱいやっていますよ、ということです。
プロとは違うわけでその辺は踏まえてみていただけると良いかなと思います。
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